春か来た♪ 春が来た♪ 山や里に来た♪

 高下谷の棚田には草木の新緑の芽が一斉に吹きだし生命感に満ち溢れています。 棚田からは・・・さあ! 春だよ! 農作業がはじまるよ! そんな声が聞こえてきます。 丘の先端にはクロガネモチの大樹が私たちの街を見下ろしています。クロガネも新たな新葉が芽生え出し、役割を終えた葉が風に舞いながら音をたてて落ちています。新旧交代の営みがはじまっているのです。 生まれ変わった幼い葉も生き生きと輝き、この一年間、威厳を誇って私たちの街を見守ってくれることでしょう。棚田では季節の訪れを忘れることもなく巡ってきているのです。 雨が降り出してきました。しばしのあいだ、農作小屋で雨宿りです。コンビニで買った大きなおにぎりを食べながら棚田を見ていると、雨雲が都会の方から迫ってきました。静かで幻想的な風景が醸しだされ、モノトーンの世界が自分が幼かった頃の記憶が呼び戻ってきました。     畑では大根の花や菜の花が満開です             雨と光が織りなす幻想的な世界  日本の自然が織りなす美しい四季や恵み、その自然は時に厳しい災害をもたらす地震や土石流となって私たちを襲います。このような自然の環境は世界的に見ても極めて稀な存在です。その中で暮らす日本の特愚性、その長い歴史の中で自然に人間の力がおよばない、日本人独特の自然観が育まれてきました。 それは自然を征服することではなく、自然の中に神の存在を認め崇拝しながら人々と共に助け合い、自然と共に生きて行くことでした。しかし、現代の私たちは人間…

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鎮守の森に行こう子ども達と

 最近、北欧発祥として自然の森の中で子どもを育てる「森のようちえん」が脚光を浴びています。 子ども自らが持っている育つ力を尊重しながら自然の森の中で遊び、五感を育てる保育が行われているのです。とっても素晴らしいことなのですがしかし、日本と北欧の自然観は違い、歴史的にも森とのかかわり方が基本的に違うのです。日本の森は日本特有の気候風土から生まれ、深い緑に覆われた山や森は日本人としての精神形成を生み、支え育ててきました。そこには生命感や畏敬の念も深く内蔵され、有史以前の縄文時代から日本人の精神文化を森が育んできたのです。   小林社の鎮守の森と裾野に広がる棚田・右に保育園  日本は素晴らしい四季折々の季節の中で自然の恵みを享受しながら暮らしを営んできました。自然の厳しさや美しさに触れながらその自然の中に神を感じ、自然と共に生きる喜びを得ながら人間としての豊かな心を育ててきたのです。日本人の感受性は自然から磨かれ、日本人の心の精神文化や美意識が育まれたのも「日本特有の自然から」でした。 しかし、私たち現代人の感覚は人体で感じることも曖昧で、目で見える物質のみを信じる感覚となってしまいました。  私たちの祖先は、自然との営みの中で見えないモノも感じ取る五感+αの六感の感性もこの自然から育んで来たのです。鎮守の森や田畑の営みの中から感じる感性は現代人の生活の表層を越えた見えないモノを感じとる何かの感覚があります。それは小宇宙的な何かを感じる心の動きかも知れませんし、人間の本能的な…

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ひねくれた木

 永い眠りについていたブログ、もう立春だよ! 起きねばと思ってもこの寒さ、頭の中はボ~~ット。いつも頭の中には子ども達のことがあるのですが・・・。  こたつの中で35年前のなつかしいアルバムを見ていると・・・。子ども達の面白い写真を発見。 そういえば、あの頃夢であった山を少し手に入れて、ヒノキを植えたり、畑でイモや野菜を作ったりと毎週山に出かけていたな~~と。しかし、畑のイモはイノシシやモグラたちの餌となって獣を喜ばせていたのです。  広い山の敷地の中で「ひねくれた木を」発見。その姿に驚き、台風や土石流に痛めつけられ、大変なことがあったのかなと想像はしてみても、この生命力に驚きと感動。じっと見ていると決して「ひねくれた」のではなく、いちずに太陽に向かって伸びるこの木の素直さに驚き、異常な興味と親しみを覚えたものです。 ひねくれた木を喜んで一旦受け入れれば何かに生まれ変わるかも。そう思えばイメージが沸いてきたのです。 家で待っている子ども達に・・・これがそのブランコです。 ひねくれ者は動きも安定しない異常な動きに子ども達は大喜び。  天然のひねくれ者として役立たず、切り倒せば単なるゴミになるだけ。しかし、一旦人間の心の中に取り込めば自然の手作り遊具となったのです。 最近の遊具は、あらかじめ用意されたものに満ち溢れています。市場化された遊びに囲まれているなかで、私たちの工夫や創作によって豊かな遊びへと変身すればこれほど嬉しいことはありません。 この天然のひねくれ者、そ…

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