鎮守の森に行こう子ども達と

 最近、北欧発祥として自然の森の中で子どもを育てる「森のようちえん」が脚光を浴びています。 子ども自らが持っている育つ力を尊重しながら自然の森の中で遊び、五感を育てる保育が行われているのです。とっても素晴らしいことなのですがしかし、日本と北欧の自然観は違い、歴史的にも森とのかかわり方が基本的に違うのです。日本の森は日本特有の気候風土から生まれ、深い緑に覆われた山や森は日本人としての精神形成を生み、支え育ててきました。そこには生命感や畏敬の念も深く内蔵され、有史以前の縄文時代から日本人の精神文化を森が育んできたのです。   小林社の鎮守の森と裾野に広がる棚田・右に保育園  日本は素晴らしい四季折々の季節の中で自然の恵みを享受しながら暮らしを営んできました。自然の厳しさや美しさに触れながらその自然の中に神を感じ、自然と共に生きる喜びを得ながら人間としての豊かな心を育ててきたのです。日本人の感受性は自然から磨かれ、日本人の心の精神文化や美意識が育まれたのも「日本特有の自然から」でした。 しかし、私たち現代人の感覚は人体で感じることも曖昧で、目で見える物質のみを信じる感覚となってしまいました。  私たちの祖先は、自然との営みの中で見えないモノも感じ取る五感+αの六感の感性もこの自然から育んで来たのです。鎮守の森や田畑の営みの中から感じる感性は現代人の生活の表層を越えた見えないモノを感じとる何かの感覚があります。それは小宇宙的な何かを感じる心の動きかも知れませんし、人間の本能的な…

続きを読む

ひねくれた木

 永い眠りについていたブログ、もう立春だよ! 起きねばと思ってもこの寒さ、頭の中はボ~~ット。いつも頭の中には子ども達のことがあるのですが・・・。  こたつの中で35年前のなつかしいアルバムを見ていると・・・。子ども達の面白い写真を発見。 そういえば、あの頃夢であった山を少し手に入れて、ヒノキを植えたり、畑でイモや野菜を作ったりと毎週山に出かけていたな~~と。しかし、畑のイモはイノシシやモグラたちの餌となって獣を喜ばせていたのです。  広い山の敷地の中で「ひねくれた木を」発見。その姿に驚き、台風や土石流に痛めつけられ、大変なことがあったのかなと想像はしてみても、この生命力に驚きと感動。じっと見ていると決して「ひねくれた」のではなく、いちずに太陽に向かって伸びるこの木の素直さに驚き、異常な興味と親しみを覚えたものです。 ひねくれた木を喜んで一旦受け入れれば何かに生まれ変わるかも。そう思えばイメージが沸いてきたのです。 家で待っている子ども達に・・・これがそのブランコです。 ひねくれ者は動きも安定しない異常な動きに子ども達は大喜び。  天然のひねくれ者として役立たず、切り倒せば単なるゴミになるだけ。しかし、一旦人間の心の中に取り込めば自然の手作り遊具となったのです。 最近の遊具は、あらかじめ用意されたものに満ち溢れています。市場化された遊びに囲まれているなかで、私たちの工夫や創作によって豊かな遊びへと変身すればこれほど嬉しいことはありません。 この天然のひねくれ者、そ…

続きを読む

子ども達と「うさぎ・にわとり」の遊び場

 幼稚園からうさぎ小屋の柵が古くなったので新たに考えてくださいと相談がありました。 子ども好きの建築家は何でも屋です。「うさぎと子どもたちの触れ合いの場」づくりをイメージしながら幼稚園に出向いてみると小屋の廻りには四角い柵が施され、うさぎと鶏がいます。  じ~っと、うさぎを見ていると子どもの頃、神経質で過敏な動物であることを思い出しました。 うさぎを抱くと生身の動物の生暖かい体温と激しい鼓動が伝わってきました。ぬいぐるみと違う、この暖かい感触も子どもたちに伝えてやりたい。鶏はお好み焼き屋に行くときにいつも卵を失敬していました。          うさぎ小屋と新たな柵  理事長先生と幼稚園にとって小動物と子どもたちの触れ合いとは何か?・・・うさぎ小屋の柵は如何にあるべきか?・・・なんども、なんども話を重ねていると単なる柵の問題を飛び越えて、幼児教育の問題点まで話がおよび、やっと2ケ月も掛かってプランが固まりました。 子どもと動物との隔たりをなくし、柵のイメージを払拭すること。そのことによって子ども達と動物が自然に触れ合い、感動的な体験が沢山できること、そんな遊び場を作ることに決定したのです。                 自然であるように柵は皮付きの丸太と植木も植えました  柵は自然の皮付きの丸太を使って曲線にし、遊びの森と一体的になるようにしました。 神経質なうさぎも子どもから逃れ隠れる場所も作らなければそして、子どもと動物が柵で隔たりがないように身近に触れ合い…

続きを読む