Chica Chico にオート三輪の「トゥクトゥク」坊やがやってくる !
幾つになっても小さい頃の思い出や感動は心の宝モノになっています。原爆が投下された復興期のヒロシマ、マッダの三輪バタンコが沢山の荷もっを積んで「でこぼこ道」を騒音と埃を立てながら忙しく働いていました。その様な戦後のヒロシマで生まれ育った一つの記憶の中にマッダの三輪タクシーがあります。チカチコにオート三輪のトゥクトゥクが来ることが待ち遠しく、きっと小さくて可愛い車だろうなと想像していました。当時のマッダの三輪タクシーが福山の自動車時計博物館に展示されていると聞き、待ちきれずその思い出の確認に行ってきました。
受付でマッダの三輪タクシーがありますか? どこ どこ 気持ちはすっかり子ども心に戻っています。珍しいクラシックカーや時計に目もくれず三輪タクシーに一目散、そんな予測に反して展示場に立っている姿は存在感と威厳さがあります。グリンー色の車体は当時緑のないヒロシマでひと際目立ち、力強さと優しさが漂っていました。博物館の人から触ってもいいですよ! 乗ってもいいですよ! 写真も撮ってもいいですよ! 全て優しいご配慮に心はワクワク、昔の友達に会ったような嬉しさと脳裡に当時の面影が浮かんできました。ついでに連れて帰ってもいいですか? そうだもうすぐトゥクトゥク坊やがやってくるのだ。
当時の我が家は7人の家族で子どもは5人でした。三輪タクシーは4人乗りです。後部の座席をのぞいてみるとレザーのベンチシート大人2人席に荷物と子どもが乗る小さなベンチもあります。七十年の時の流れが経っても高級感があります。ヤッパリそうか! 当時の様子が甦ってきました。5人の子どもたちは乗り切れず、両親の膝に2人の子どもが抱かれ、小さなベンチに子どもが2人、1人乗れません。
一番小さな私は運転席のタンクの上に抱きかかえられて乗せられていたのです。自分の席はタクシーの真正面に乗る特等席であったと記憶に残っていたのです。そうかタクシーの運転手さんの優しい配慮だったのだと嬉しくなってきました。 おおらかな時代です。
7人の家族を乗せたマッダの三輪タクシーは、力強い音と復興のヒロシマの凸凹道を走って行きます。窓はなく横風が吹き込みます。バーハンドルの下から道路が過ぎ去って行きます。軽快な音と揺れ、楽しくて! 嬉しくて! 不思議な感覚が子どもの心の記憶として甦ってきました。
そういえば・・・チカチコに来るトゥクトゥクはパキスタンやインド、タイなどで、奇抜な色彩に彩られ、沢山の人を乗せて楽しそうに走っています。今度自分たちの仲間になる小さなトゥクトゥク坊やは、チカチコの隣の駐車場に止まっています。おもちゃや子ども家具、ベビーカーなどを配達をするときはトゥクトゥク坊やの出番です。トゥクトゥクと軽快なリズムでヒロシマの町を走りながら子どもたちに会いに行きます。
>>>ひげじい
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