鎮守の森に行こう子ども達と

画像 最近、北欧発祥として自然の森の中で子どもを育てる「森のようちえん」が脚光を浴びています。
子ども自らが持っている育つ力を尊重しながら自然の森の中で遊び、五感を育てる保育が行われているのです。とっても素晴らしいことなのですがしかし、日本と北欧の自然観は違い、歴史的にも森とのかかわり方が基本的に違うのです。日本の森は日本特有の気候風土から生まれ、深い緑に覆われた山や森は日本人としての精神形成を生み、支え育ててきました。そこには生命感や畏敬の念も深く内蔵され、有史以前の縄文時代から日本人の精神文化を森が育んできたのです。
  小林社の鎮守の森と裾野に広がる棚田・右に保育園

 日本は素晴らしい四季折々の季節の中で自然の恵みを享受しながら暮らしを営んできました。自然の厳しさや美しさに触れながらその自然の中に神を感じ、自然と共に生きる喜びを得ながら人間としての豊かな心を育ててきたのです。日本人の感受性は自然から磨かれ、日本人の心の精神文化や美意識が育まれたのも「日本特有の自然から」でした。 しかし、私たち現代人の感覚は人体で感じることも曖昧で、目で見える物質のみを信じる感覚となってしまいました。

 私たちの祖先は、自然との営みの中で見えないモノも感じ取る五感+αの六感の感性もこの自然から育んで来たのです。鎮守の森や田畑の営みの中から感じる感性は現代人の生活の表層を越えた見えないモノを感じとる何かの感覚があります。それは小宇宙的な何かを感じる心の動きかも知れませんし、人間の本能的なことや人の心の雰囲気を感じ取る感受性かも知れません。人への気遣いや思いやりも心で感じ合える感性です。それも自然が育んだ日本人特有の価値観や美意識へとつながっています。

 私は建築家として人間の心と深くかかわる中で見えないものまでデザインする日本の感性美学に非常に興味を抱いていました。幼児教育には素人ですが子どもの心を育む感受性が、自然からどの様な影響を受けているか研究のテーマとなっていました。そんな時、日本の美しい四季が織りなす日本の原風景が広島市安芸区矢野町高下谷に存在していることを見つけたのです。

 矢野の保育園の近くに小高い森があります。その森の形が不思議で気にかかっていました。もしかして神が宿っている鎮守の森ではないかと思い登ってみたのです。山道にはクヌギやアラカシの実が沢山落ちています。ドングリを拾いながら子ども達が喜ぶだろうなと進んで行くと、少し広い場所に出ました。そこには神々しい小さな祠が佇んでいました。驚きながら案内板を見ると小林社とあります。

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 参道を登ると両脇に自然石の灯篭と小さな祠(小林社)         小林社の案内板

 この小林社の鎮守の森は、神聖な森として宅地開発の造成がされず、地域の人々によって守られています。
森には樹々が生茂り、太陽の光を受けて色鮮やかに輝き、自然が醸し出す多彩な光や色、祠と鎮守の森がじつに神秘的で美しいのです。
鎮守の森の裾野には広島市唯一の棚田が広がっています。そこには豊かな自然や気候風土から生まれた美しい日本の原風景が残っています。私たちの祖先が自然の恵みを享受し、暮らしの中で鎮守の森と深く係わりながら生活が営まれてきた様子を伺うことができます。

 小林社の鎮守の森は、単なる森とは違って自然の恵みに感謝し、神を見出した日本人の信仰心と豊かな感受性が醸し出されています。豊かな心情や心の繋がりが無くなってきた現代社会、もしかすればこれからの時代に子どもたちが鎮守の森と出会い、山や森、川や畑などの豊かな自然の中で地域の人々と係わりながら「人間になるため」の感動や感受性を育む場として鎮守の森や棚田が貴重な役割を担うのではないかと思ったのです。

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     高下谷の棚田から鎮守の森が見えます        稲穂と彼岸花の季節、そのコントラストが美しい

■この鎮守の森を訪れて2年間、季節を通じて写真を撮り続けてみました。

 この世の中、子どもを取り巻く環境も著しく変化してきました。私たち大人は経済的価値や物質的価値、そして情報やメディア機器に翻弄され、ゆっくりと豊かに子どもを育てることが難しい時代となっています。
自分の意志や気持ちを伝えることができない子ども達、遊びを通して感動や喜びを友達と共有することができない子ども達。家庭ではTVやゲーム機で部屋に引きこもり、子ども達が自然の中で体を動かし、友達と一緒に遊びまわり体験する豊かな環境が少なくなってきていることも現実です。

 白紙の状態で生まれてきた子ども達、子どもが出会う神秘的で不思議な感動は、やがて知識や知恵を生み出す種子となって豊かな感受性を育んで行きます。このような大切な幼児期の時期に子ども達の心を育む本来の環境とは何だろうか・・・? それは、自然の森や田畑で地域の人々と深く係わりながら豊かな感動を体験し、子ども自らの心と体全体で感じ取れる環境を整えてあげること。そして子ども達の「心情や情緒」・「知識や意欲」・「社会性や協調性」などが自然と培われて行く、そんな環境が必要ではないかと思うのです。
子ども達の世界はいつも生き生きと新鮮で驚きと感動に満ち溢れています。豊かな感動によって六感などの感受性が自然と培われて行くのです。

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  梅雨時の森は生命感に溢れ、コケと新緑の芽が神秘的         たくさんのキノコが美しい

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    境内にはクズのツタが生茂り、その下を覗いてみればたくさんのキノコが繁殖、不思議な世界です

 この鎮守の森は、みずみずしい生命感に満ち溢れています。鳥や虫、花やキノコ、そして土の中には小さな生き物や微生物も共生しています。美しい自然が織りなす四季の移り変わり、日本人の美意識や豊かな感受性は、豊かな自然や気候風土から育まれてきました。それは一万年も続いた縄文時代から始まり、日本特有の精神文化や美学として培われてきたのです。

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     秋の棚田と柿の実のコントラストが美しい       町内の方々が子どものために清掃奉仕

 この度、鎮守の森が子ども達の心を育てる場として氏子さんや高下谷町内会の皆様のご協力を得ることができました。それに先立ち昨年の秋に鎮守の森の清掃作業が行われました。心から感謝申し上げます。
宗教的な意味合いはありませんが、昔から子供は神の子と言います。この世に人間として生命を授かった命、人間も自然の生きものです。この小林社の鎮守の森で神様にそっと見守られながらどの様な発見や感動があるかとっても楽しみにしています。

今後、鎮守の森と棚田で遊ぶ子ども達の様子をブログで紹介してみたいと思います。

矢野町高下谷にある小林社の歴史・・・
 祠がある小高い山は灯台山とも呼ばれ、むかし矢野城(発喜城)の支城がありました。その城の石垣の遺構が現在も残っています。社地の裏には攻城兵の進撃を防ぐ堀切がありました。矢野城は安芸熊谷氏の一族である熊谷蓮覚によって1335年に築城された山城です。
小林社は守護神である大巳貴神(おおあなむちのかみ)大国主神(若い頃の名前)が祀られています。大巳貴神は古くから大年社に鎮座されていましたが1715年にこの地の守護神として遷座され、大黒である金毘羅堂とも呼ばれ人々に親しまれていました。

■感性について掲載しましたブログのご紹介

https://chica-chico.seesaa.net/article/200811article_1.html・・・子ども達に残したいもの 2008/11/24 掲載




<<ひげじい>>

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  • 春か来た♪ 春が来た♪ 山や里に♪
  • Excerpt: 高下谷の棚田には草木の芽が一斉に吹きだし生命感が満ち溢れています。 棚田からは・・・さあ! 春だよ! 農作業がはじまるよ! そんな声が聞こえてきます。 丘の先端にはクロガネモチの大樹が私たちの街を見..
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  • Tracked: 2014-04-29 19:49